2016年の大好きなアニメたち
2017年もあと1クールしかない、ということに気がついて、だらだら書いていた2016年のアニメのまとめを焦って投稿します。今頃!笑 もうスルーしてもいい時期だけど、こういうものに後々の自分が助けられることがよくあったので。あとは今、ネットでちょっと前のでも簡単に見られるしね!(言い訳)
数えたら2016年は25本アニメを見てた。全部見たものだけでも。昨年は8本って書いてたからすごい増え方だ。こんなに楽しいことがあったから生き延びられたな。お世話になりました。
まずは1月期。
おそ松さん
前クールからの続き。もう何も言えない。「おそ松さん」がやっていた時期は、精神をこれに握られているのではというくらい動揺したりときめいたりしていた。わたしは腐女子ではないので同人まで漁ったりとかはしていなかったけど、見ながらtwitterで感想を検索して、いろんな人の動揺、全国のうねりみたいなものを見るのが楽しかった。最終回1個手前の嫌などきどきは忘れられない。なんでこんなにアニメに揺さぶられてるんだろう、と自分のことを滑稽に思うくらいだった。あらすじとかは言えない、6つ子がわちゃわちゃやっている、ただそれだけ。
1クールめのはなまるぴっぴも好きだったけど、2クールめのOPも好きだったよ。
そして相変わらずEDもいい。個々のバージョンのフルはちょっとおかしな破壊力があります。
昭和元禄落語心中
落語を愛した人々の人生と狂いの物語。落語家を声優に呼んだのではなく、声優さんが落語をされていて、さすが喋りのプロという、矜持をたっぷり見せてもらった感じだった。特に、菊比古を演じる石田彰さんの色気がすごくて、目をつぶって世界に浸ってずっと聞いていたくなるような調べだった。作品は、後半になればなるほど悔しさも愛情も膨らんで面白く感じる。
また、林原めぐみさんのOPと歌のないEDがすごく美しくてそれも見所。
暗殺教室(2期)
ついに完結。こういう、最後の最後までを綺麗に描いて終わってくれる作品、実はあまりなかったりするのですごく嬉しかった。もうお決まりのベッタベタなシーンでぼろぼろ泣いた。この作品はそれでいいのだ。子どものための漫画雑誌として走り続けるジャンプにおいて、これほど意味深い作品があるの、素敵すぎる。
全然関係ないけど、この人の声好きだなあ〜と思って聞いていたキャラクターのクレジットを見たら島崎信長さんで自分の耳GJと思った。島崎さんの声、やっぱり好き。声という意味でいうと、一松に慣れた後に殺せんせーを聞くと「福山さんたっか」ってなる。
赤髪の白雪姫(2期)
今少女漫画で最も純粋で美しいファンタジーだと思う。誰がなんと言おうとわたしはオビが好きだ。ゼンも好きだけど、オビ、幸せになってくれ……! 原作の雰囲気がとっても忠実に再現されているので、アニメから入った人はぜひ原作も読んでほしい。
僕だけがいない街
悪いことが起きるとき「リバイバル」をする体質を持つ主人公が、過去に戻って悲痛な事件を解決しようとする話。ミステリー要素たっぷり、不穏な空気が常に漂うハラハラし通しの傑作で、アニメに映画と、多様な展開も納得。
このアニメは終盤まではかなり原作に忠実で、絵が綺麗で原作より見やすいくらいだけれど、最後の結末が原作とは違います。個人的には、原作を知ってしまうと、圧倒的に原作の方が美しい終わりだと思う……ので、ぜひ原作も読んでほしい!
この作品と言えば、全体の題字と、各話のサブタイトルのフォントが話題に。こういう工夫大好きです。
おしえて!ギャル子ちゃん
普段は全く見ないジャンルなのだけど、知り合いが関わっていてチェック。1話1話は5分?くらいのショートストーリーで、日常コメディなのだけど、やたら声優さんが豪華(笑)
SUSHI POLICE
謎のショートアニメ。MXの開局20周年作品らしい。寿司を取り締まるポリスの話で、アメリカ的なアニメーション。主題歌がPerfumeとOK Goのコラボ。「こんなの寿司って言えないよ!」ていうのは日本人なら一度は思ったことあるだろうけど、それをどこまで守るべきなのか……。多様化していくのも文化だけど、ちょっと寂しいのもまた事実。まあ、これは範囲広すぎだけれど。
続いて4月期。
続きを読むミュージカル『ヤングフランケンシュタイン』が笑えて楽しくて最高だった
ミュージカル『ヤングフランケンシュタイン』があまりによかった。あまりによかった。
めちゃくちゃ面白くて、いっぱい笑えて、こんなに満足したエンタメは久しぶりで大興奮で、終わってしばらくアドレナリンが出すぎていて走り回りたくなったくらい最高でした。
演出はコメディとシュールとパロディの名手・福田雄一さん。主演はミュージカル初挑戦の小栗旬さんで、そのほか瀧本美織さん、賀来賢人さん、ムロツヨシさんらが出演。初めて見た演目だったので何かなと思ったら、
本ミュージカルは、喜劇の天才メル・ブルックスが1974年に公開した映画「ヤング・フランケンシュタイン」を、後に彼自身がミュージカル化したという爆笑コメディミュージカル作品です。
−−公式サイト INTRODUCTIONより
とのことで、元は映画だったようなのだけれど、展開が実に舞台的、起承転結もドタバタも絶妙に飽きない頃合いで、かつミュージカルとして重要な楽曲が、1度しか聞いていないのに記憶に残るキャッチーで魅力的な曲ばかりで、逆に映画の形態が想像つかないくらい王道ど真ん中のミュージカルでした。ミュージカル好きは絶対ハマるはず。普通に劇中の歌のCD欲しい……!
ストーリーは、かつて怪物を生み出したフランケンシュタイン博士が亡くなって、脅威から解き放たれようとした村が舞台。
喜ぶ町民たちに、「まだフランケンシュタイン家には孫が生き残っている」ということが知らされ、そこにその孫フレデリックが遺品整理のために帰省する。フレデリックはフランケンシュタイン家の末裔であることを嫌がり隠して暮らしていたが、使用人たちにそそのかされ、祖父の残した実験記録に触れて、怪物を生み出すことになってしまう……というもの。
ホラー的な筋書きだけれど、概ねコメディ、ハッピーな空気なので、怖いのが苦手な人にもおすすめ。
そして!!やっぱり何と言っても小栗旬さんが!!最高すぎて!!
青いすらっとしたスーツで立っているだけで華があって、それが軽快にダンスなんてするものだから、その身のこなしやちょっとした手脚の動かし方にずっと魅了されっぱなしになります。ちょっとヘタレで情けない性格の主人公なのも最高。2枚目が情けないのはハウルも証明している通り最高なんだ……。
小栗旬さん前から好きだったけど、個人的には過去最高に好きだった……!ルパンもcrisisもかっこよかったけどそれよりダントツにツボでした。歌って踊ってるのは新鮮だったし、声がとにかくよくて、伸びやかで、すごくよかった。
かなり驚いたのは賀来賢人さんでした、上手い、上手すぎる……。舞台で拝見したのは初めてだったのでびっくりして釘付けになってしまった。
役柄も、背中にコブがあって姿勢を悪くして歩く、動きの変わった助手の男で、ドラマ『Nのために』みたいなクールでやり手的なイメージが強かったので、こんなに幅のある方だったのか、と終始ずっと感激。歌もすごく自然で上手くて、風変わりな男の癖のある声と喋り方なのに、それを再現したまま歌まで歌えるなんて。
こういう出会いがあると、この役者さんの出ている舞台をまた取ってしまう。
役者さんとしても、そして演出上のキーポイントとしてもすごかったのが大人気のムロツヨシさん。今みんなムロさんが好きで、でも面白い人枠的な、バラエティー的な印象なのかと思っていたのだけれど、「それを舞台でもそのままやっていられる」ってことはもう存在ごとすごいってことで。
出てきただけで笑えるって本当にすごくて、それが衣装とかの出オチではなくてムロさんの放つ空気感というか、登場しただけで舞台がふわっと柔らかくなるし、まだ出ないのかなって次の登場を楽しみにしちゃう。脳内に住みこまれるみたいな感覚で、あ、これは中毒になるな、と。
今回は特に一人で6役?もやっていて、それがまた、すぐに違う人をやっているってわかるからすごい。なのに、全部すぐムロさんだってわかるのもすごい。この方の主催の劇行ってみたい。
役者さんだけじゃなく、とにかく脚本がすごくて、めちゃくちゃ面白かった。映画『銀魂』を見たばかりだったので、正直こっちもあんな感じかな?と思っていたら全然違った。なにこれ全然違うじゃん!福田さん!!
でも通ってる精神としては、ギャグあり、ツッコミあり、メタ認知的なセリフも入ってるし著作権やばそうなパロディありで共通していて、その全部がすごくいいバランスでとにかく飽きなくて、全く長く感じなくて、こんなに脚本が最高なもの久々に見た気がする。グッズ売り場に売られていたら買って帰った。読んでも笑えそう。
この笑いの要素を全部書き出すことほど野暮なことはないのでしないけれど、例に出すなら、とにかく小栗旬さんがキスしようとする場面で、
「はっ俺は今いったいなにを」
「誰彼構わずキスしようとしてました!」
「20代の小栗旬みたい!」
的な会話があったりする。もちろん観客がどっと沸く。なんて爽やかなんだ……!笑
また、コメディ部分だけじゃなく、歌とダンスの盛り上がりの緩急もすごくよかった。15人くらいがフォーメーションで動いたり、ばーんと声を合わせて歌ってその場が気持ちよく決まる、みたいなシーンが欲しいところに綺麗にあって、そのひとつひとつで気持ちや場面がくるくると変化していくのが快感だった。
その雰囲気はこちらのゲネの映像がわかりやすい。
小栗旬主演 ミュージカル「ヤングフランケンシュタイン」 公開ゲネプロ 瀧本美織,ムロツヨシ,賀来賢人,瀬奈じゅん
あーとにかく最高だった。この幸せだけで1、2週間生きていける。最近舞台の数減らしていたけど、これはどうしても見たくて取って本当によかった。
今回のこの『ヤングフランケンシュタイン』は、ギャグ要素的にも、かなり福田組色が強そうなので、この素敵な楽曲はそのままにまた違う演出になっているであろうブロードウェイ版なんかも見てみたい。いつか行くぞNYやヨーロッパ……。日本でも再演があったら行きたい。というかDVDにして欲しい……!
あ〜〜〜〜〜〜〜もっかい見たい!!なんなら信頼できる人を連れて行きたい!て思ったけどSOLD OUTだよ〜〜〜〜舞台はそれがつらいんだよ〜〜〜〜
— まるこ (@lebeaujapon) 2017年8月17日
ほんとこれなんですけど、一応毎日当日券が出るみたいなので!!行ける方はぜひ!!
こちらが映画版。
わたしの愛すべき「浪費」と、ちょっとお金で失敗した話
今日、友人が書いた本が出版される。
もとはこんな感じの大変おしゃれな同人誌で、その最初のテーマ「浪費」を膨らませて豪華になったのが今回の書籍という感じらしい。
夏コミ新刊「恋愛」と既刊の2冊並べてみました。
— 同人誌「悪友」(劇団雌猫) (@aku__you) 2017年8月5日
「浪費」「美意識」どちらもBOOTHで通販中ですのでお持ちでない方ぜひどうぞ! https://t.co/iwlyqzGbmQ pic.twitter.com/NBZrQ1Il4j
ここに出てくる人たちが、異常なほど何かに入れ込んだ「浪費家」に見える人もいるだろうし、幸福を自力で(?)手にした人たちに見える人もいると思う。わたしも他人事ではない。舞台に行き、映画を見て(ちなみに舞台に通うと映画が安く思える。怖い)、ライブに行き、漫画を読み本を読み暮らしている。お金がいくらあっても足りない。そんな中で、最近自分の浪費によってお金でちょっと失敗して、ひやっとしたので、『今週のお題「ちょっとコワい話」』によせて、自戒もこめて、わたしの失敗を書いておく。
着物を買ってローンを組んだ
この見出しからして多趣味なのもいい加減にしろと怒られそうだけど、いわゆる「いいもの」と「和物」と「工芸品」が好きで、前々から興味があった着物に対して、ようやく手が出せるお金がでてきたかな、と思っていた。そんなタイミングでたまたま有給でふらふらしていたときに立ち寄った着物店が、街中にある呉服屋よりもずっとおしゃれで可愛くて若い人向けで、一気に惚れ込んでしまった。
そこで着物を買ったわけだけれど、着物というのは実に必要なものが多い上、季節に左右される面が大きくて、一つ帯を買えばそれに合う帯揚げがないだの、最初はとにかくお金がいる。言い訳するわけじゃないけど、毎回決まったワンセットを着るのではなく、いくつかからその日に着たいものを選んで着る状態を作れるまでには初期投資が必要なジャンルだった。
あまり知らないまま飛び込んで(といっても祖母からもらった着物があったり、着付にもちょっと通っていた)、そのまま沼にはまっていった。お金がかかるので、ローンを組むことになる。乗せ上手の店員さんたちはみんな可愛くて、その人たちに会えるのも楽しみで、似合うものを見つけてきてくれるし、小物も色々あってとにかくめちゃくちゃ楽しかった。着物は本当に高級なものは意味不明な金額がついているので、絶対に無理な金額は「無理無理!」てなるけど、置いてあるものは「ちょっと頑張れば」っていう絶妙な感じで、そのままそこでローンを組んで、「わたし手数料嫌なのでボーナス入ったら残り払っちゃいたいんですけど」って言ったら、「もちろんできますしそのあとの手数料はかからないですよ!」って言われた。
そこでまぁあまり深く考えずに、じゃあ3ヵ月後くらいのボーナスで全部払えちゃうしOKだよね、と契約した。
ボーナス月になって残額を確認したら最初より高い金額が来た
時が流れてボーナスの月が来て、さあ残りを払ってしまおう、と、ローン会社に一括で払う残額の問い合わせをしたら、最初の元金よりも高い金額がでた。分かりやすく端数は省くと、
45万の買い物に対し、全部をローンで払うと55万になる契約
↓
数ヶ月ローンで支払う
↓
残りの月から手数料をひいた料金は単純に割れば35万円くらいかな
↓
問い合わせたら47万の支払いと言われる
↓
元金よりも上がってるじゃん!!!
と言う感じに。
いやこれはもう、ローンとかお金とか詳しい人からすれば、「あららら…」と呆れることなのだろうけど、わたしにとっては「そんなことあるの!?」という現象で、だったら最初から一括で払ったよ!!となるわけで、そこでようやく超苦手な契約書を読み、とある契約形態にたどり着いたのでした。
78文法ってなんなのさ
契約書に書いてあった魔術のような言葉、「78文法」。これがひとつの支払いの形態なのだけれど、これがどういった契約をさすのか、いくら読んでもさっぱりわからなくて、とにかくネットを検索した。いやー、お金のことってネットで検索したことなかったけど、出てくる検索結果が怖すぎる…。「友達が自滅しています」とか「もう無理です」みたいな重い言葉が並ぶ知恵袋の数々。それを見ただけでも正直ちょっと背筋がぞくっとした。
そんな中で78文法が何なのかというと、
78(しちはち)分法(rule of 78(seventy eight))とは
78(しちはち)分法(rule of 78(seventy eight))は手数料をアドオン方式で計算している場合の、当月の手数料や戻し手数料(アドオン利息は一種の利息天引き利息であるため、借り手が期中で早期完済を申し出た場合には、未経過期間相当分の利息を借り手に返済する必要があります)を計算する場合に、一般的に用いられている方式です。残存元本に対して料率を掛けて手数料を計算する残債方式を簡便にした方式であり、「疑似残債方式」とも呼ばれます。 78分法は、12ヵ月均等賦払いを仮定した場合、「債務残高の累計が78単位(1十2十……十11十12=78)になると考え、ある時点で一括返済した場合には、残りの単位が来到来債務残高の累計であるとし、当該単位分の割合から戻し手数料を算出します。--金融用語大全より
はい、わからない!!!!
こういうところが嫌なんだ契約書説明書の類は……。ぶつくさ言いたい気持ちをぐっとおさえて検索すると、色々親切に教えてくれるサイトもありました。インターネットありがとう。
- 「78文法とは?」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~jitsunen/jt_14_2.htm
- 「一括返済額を計算する方法(住宅ローン除く)」
http://homemaking.hanaranman.net/loan1866.html
このあたりにめちゃくちゃお世話になって調べていくと、どうやら、実際の金額と利息をずっと均等に払っているわけではなく、最初は利息ばかりを払っている計算になっているらしい。細かな計算まで完全には理解できなかったけど、これは最初のほうでローンをやめるのが一番損な契約ではないか……。
あの時店員さん「その後の手数料はかかりませんよ」って言ったじゃんとかずっとその店に勤めてるならすぐにボーナスで払うの損なことくらい知ってたんじゃないかなとかまぁ色々ぐるぐるしたけれど、総じて「ちゃんと読まなかった、調べなかった自分が悪い」ことに変わりはないので、今回は痛い勉強代として、最初の金額より高いお金を泣く泣く一括で支払った。
節約生活の精神的な死
というわけで、一括でいきなり大きなお金が消えたので、しばらく節約生活になった。行きたい舞台を8割我慢する生活。ライブの遠征を見ないようにする日々。死に等しい。自分の趣味が原因で完全に自分のせいなので、気づいたら借金の保証人になっていた…みたいな理不尽さは皆無なわけで、自業自得以外の何物でもないけれど、それでも日々健康に、起きて働いて寝て生きていくためには、楽しみなことって絶対に必要で、こういうことにならないためにも、計画性を身に着けようと誓ったのでした。
「お金がないよう」とめそめそしていたら、知人が北海道から鮭を送ってくれた。そのうち餓死したらお香典をちょうだいね、と言ったら、「そんなものに使うならじゃがいも送る」と言われた。いい人すぎやしないか。
ちなみにその人が「買うのが悪いんじゃない、買うために調べないのが悪い」と名言を言ってくれたので幾分か安心した。だってこういうとき、ここぞとばかりに「無駄遣い!!」と言われることのほうが多いし。その消費の中身ではなく、方法をね、わたしは考え直したい。もちろん買いすぎはよくないけども。
ローンって、言われた通り小売店で契約すると、そのお店にもお金が入る仕組みになってたりするんだね。全然知らなかったし、「うちで買うとここでご契約いただくんですけど」って言葉を1ミリも疑わなかったよ。社会怖い。車とか家とかじゃなくてよかった~~(いや、さすがにそれだけの巨額であれば調べたと信じたい)。45万に対して55万は、78文法以前に金利高すぎらしい。そうなんだ。銀行とかでローン契約して現金を持って行ったりするらしい。そうなんだ。勉強になった、本当に。
それからは、excelで毎月の収支を管理している。ちょっと成長したけど、あのひやっとする感じは忘れずにいたい。絶対に浪費をやめられないからこそ……。だって、こんなに楽しいものがあふれてるんだよ。わたしは小さい頃から本や漫画やアニメに育ててもらったから、感情の豊かさも日常の彩りもそこから教えてもらったから、そこと手を切る気はないのだった。
目標は、節度と計画性!!!あと少しの冷静さ!!!
ていうか稼ぎたいな!!!!!
ちなみに着物に関しては、思いのほかリサイクルに素敵な出会いがあるらしいことを学んだので、また着物欲が出てきたら、そういうところから行ってみることにする。
友人の書いた浪費の本は、読んだらまた感想を書きたい。
今週のお題「ちょっとコワい話」
祖父母のいない家への帰省
もう誰も住まない祖父母の家に久々に行った。
家主であった祖父と祖母は亡くなってしまい、家族に残されたのは「後片付け」と「様々な手続き」だった。それらは全て、母と母の姉妹が1ヶ月に2回ほど集合して少しずつ進めているので、わたしは普段は関係なく過ごしていて、「おばあちゃんち」に来たのは本当に久しぶりだった。なぜか「おじいちゃんち」ではなく「おばあちゃんち」になるのはなぜなのだろう。
山梨にある広い一軒家は、わたしがこれまで見てきた生活の中で、一番賑やかなものだった。客間があって、お客さんが本当に来て、ちゃんとした茶器やお茶菓子が用意されていた。孫が大集合する夏休みと年末年始は、特別な時間のように思えた。厳しいのに、全てが甘い場所。祖父母は敬語で喋ることを勧める人たちだったので、わたしは必要以上に甘えることはできなかったけれど、何かあっても許される場所であることは理解していた。
7段ある雛人形。きゅうりとなすに足をつけたお盆。屋上で見た星。祖母に当ててもらうドライヤー。畳の部屋の静けさ。庭の池。金魚と、猫よけのネット。何度各地に旅行しようと、湘南で大学生活を満喫しようと、わたしにとっての夏休みの風景の原点はここにある気がした。
買い手が決まれば、なくなってしまう家。わたしにはそれを維持する力も意思もないから、ただ静かに、母が疲弊しないかだけを見守っている。
今回も、手伝うつもりで行ったら、ただ叔母にもてなされてしまった。唯一手伝ったのが、祖父母に来ていた大量の年賀状をシュレッダーにかけることだった。故人のものを全て取っておくことはできない。母の代まで取っておけたとしても、もしわたしの代までそれが降りて来たら、もう大抵のものにわたしは価値を感じられないだろう。「かわいそう」や「申し訳ない」ではなく、生きている人が、自分で欲しいかで判断する。母たちが実家の片付けの難儀さに悩まされているのを見て、わたしが本格的に片付ける立場になったときはそうしようと、ひっそりと心に決めていく。
葉書たちは、ただ印刷のものもあれば、丁寧な筆で書かれた文字もあった。母や叔母が送ったものもあった。それらを仕分けしながら、母とぽつぽつと喋る。
「もしさ」
「はい」母の呑気な返事。
「もし、今突然お母さんが死んじゃったら、わたし、誰に連絡していいかわからないわ。友達とか、きっと知らせたい人もいるだろうけど」
「そうねえ。昔は電話帳作ってたけどないからね」
実際、祖父母は丁寧に作られた昔ながらの手書きの電話帳があったから、そういった連絡に苦労しなかったらしい。
「携帯見てよ」
「携帯ってパスワードあるし、見ても重要な人かはわからないよ」
「まあね。じゃあ4人でいいや。わたしは」
「誰」
「AとBとCとD」まあ、一度は聞いたことのある母の友人の名前。
「すでに覚えられてない、どこかに書いておいてね」
「えー」
「わたしが死んだらさ、どうする?」
「えー。昔は連絡網とかあったけど、今はないしなあ」
「だよね。でもほら、サークルとかは、誰か一人に連絡すれば、その人が回してくれるから。会社は会社に言えばいいし」
「その一人もわからん」
「じゃあMでいいよ。高校にもサークルにも回してくれる!便利!(ひどい)」
「お葬式って、来て欲しいと思うの?」
「それは、来る側の自由でいいよ、死んでるし」
ゆるい空気の中で話しながら、わたしはまだ全然、近しい人の死を想定していないし、その準備をするということは、思った以上に大変そうだ、と考えていた。人ひとりがいなくなることを迎え、乗り越えていく。実際の行動としては「手続き」だったり「片付け」だったりするのだろうけど、その労力が、その喪失の重みなのかもしれないと思った。まだそんな苦労はごめんだ。
「うわあ」
「何」
「やたら字の綺麗な人だなと思ったら、おばあちゃんの書いたものだった」
祖母は書道も絵もうまい人だった。
「あはは」
流れる筆運びの見える文字に、元気な顔が浮かんだ。夏休み、絵の描き方を教えてくれた祖母。結構厳しかった。ふと気づくと、○○してくれたな、という思い出ばかり出て来る。そろそろ、もらう側を卒業して、あげる側にならないとな、と思った。夏はあと何回来るだろうか。
「してもらう側」になれない話
それなりに長くつきあっている恋人が初めての一人暮らしを開始して、遊びに行ったときのことだった。「きれいにしてるでしょ?」という言葉の通り、その部屋には遊び程度しか余計なものはなくすっきりとしていて、水廻りも文句なく綺麗だった。
広いベランダ。コンロ2つ。独立洗面台。いつ出してもいいゴミ置き場に、宅配ボックス。ちゃんとしたエントランス。途中でリフォームしているとはいえ築33年になるわたしのマンションとは、床やドアの材質や汚れ方から違った。不自由するほどの不満はないけれど、端っこがひび割れているドアの木材を思い出す。全体的にナチュラルな素材のわたしの部屋が一気に学生の貧乏生活に思えるほど、その床やドアを形成する濃い茶色のつるっとした加工の木が羨ましかった。
ああ、もう6年。わたしは6年、同じ部屋に留まっている。何の進歩もなく。自分で自分にそう言われた気がした。もちろん彼にそんな他意はない。
日曜の夜、夜行バスで帰ろうとしていたわたしに新幹線を勧め、彼は1万円を出してくれた。実際にこの瞬間が来るまでは、ひとりの負担が増えるのは不平等だし折半してほしいと思っていたのに、その重い重いお札1枚を見て、わたしは内心とても怖かった。
家。快適でゆたかな暮らし。お金。負けたくなかった。男の人に負けないように働いて、稼いで、自分でお金と暮らしを手に入れたかった。そうじゃなくなるのは怖い。だれかにしてもらうばかりになるのは、弱く、自由がなくなることのように思えた。ありがとう、と言って受け取ったけれど、ちゃんと笑えていたか自信が持てない。
誰かの上に立ちたいなんて、そんな自尊心はいいことがない。正確には、上に立ちたいわけじゃなく、負けたくない、なのだけど。普通ならきっと、「生活力のある彼氏♡」って喜ぶところだと思うのに、どうしても先に悔しさと怖さがきた。それは、彼にはまったく関係なく、彼氏とか結婚とかを考えるよりももっと幼いときから、誰にも頼らなくても生きていけるようにならなきゃダメだ、と思ってきたからで、そのためにわたしは受験をし、いい高校いい大学を目指し、それなりの企業に入ってきたわけで、言ってしまえばこれまでの全ての選択はそのためにあったのだった。
父は、「俺の稼いだ金だぞ」「俺の金で買った家だぞ」と言う人だった。その年代の価値観としては珍しくないかもしれない。母は専業主婦だった。稼ぐ手段を持たない母は、好きなものも買わず、高価なものには目もくれず、贅沢もせず、わたしにとってその生活は、とても自由がないものに見えた。
絶対に、「俺の方が稼いでるだろ」なんて言わせないようになってやる。そう思って10歳くらいから勉強してきた。だから怖い。荷物持つよ、も怖い。ここは俺が払うよ、も怖い。「ごめんね、ありがとう」が積み重なった先にわたしに残るものはなんなのだろう。気づいたら何も選べなくなっていないだろうか。
この「負けたくない」の気持ちにはかれこれ15年以上付き合ってきたから、すぐに正体がわかった。なのに、それでも今回は不安が消えなかった。友人にぐだぐだと整わないまま不安をこぼしていたら、自分の口から出た言葉に驚いた。「もうわたしがいる意味はないかなって思って」。するりと出てきたのに、最初は出所がわからなかった。その先は見たくない気がするのに止まらない。「1万円もさ、その分何か返せてるなって思えてたら大丈夫なんだけど、そう思えなくて」「部屋も綺麗で、健康に暮らしてて、わたしにできることって何もないんだなって思って」勢いよく滝のように流れていく。
だって、すごく可愛いわけでも、スタイルがいいわけでもないなら、よく男の人が結婚の決め手に語るように「俺は身の回りのことできないからさ」みたいな価値でもなければ、正直、必要性がわからない。 何もかも完璧にされてしまったら、わたしにできることは何が残ってるんだろう。セックスだったら分かりやすい。別にすごく上手くなくても、とりあえず物理的にある程度役に立てる。でもそれは、女性であれば誰でもできる。
「それ以外にも価値あるでしょ」「それは相手が決めることでしょ」のアドバイスも、頭では正しいって分かっているのに、根本的に腹に落ちなかった。家政婦になりたいわけじゃないのになぜなんだ、と考えて登場したのは今度も母だった。自由になるために自分で稼ぐと言いながら、その一方で、母親が家事や人の世話によって価値を出している状況しか見てこなかったから。母がいないと自分のこともできない父を見てきたから。父がスーパーマンになって母が不要になるという構図が、わたしは怖くてたまらないようだった。
役にも立てていないのに、さらに1万も出させるなんて最悪だ。ゼロどころかマイナス。わたしが来なかったら必要なかった出費だ、と思ったら血の気が引いた。してもらうくらいならしてあげる側がいい。自分が「そんなことしてもらえないよ」って思うことでも、する側なら大丈夫だから。アンバランスだと分かってるけど、そのくらいのほうが精神衛生上いい。
「自分に価値がないように感じた2日間だった」
お兄ちゃんを長々LINEにつき合わせながらそう言ったら、「そこに価値を見出したら終わり」とばっさり切られた。わかってるよ。
「20歳くらいの男の子を養うか、40歳くらいの人にしようかな」と茶化すと、「20歳が成長したら同じ壁にぶつかるからダメ、その思考回路な限りお前に残ってるのは40どころか50くらいのヘタレなおっさんだけだから」と言われた。ありがたいお言葉はさらに続く。
「頭のいいシカマルみたいな人はちゃんと稼いで上に行ってるよ」
NARUTOのシカマルみたいに、やる気もなくてだめだめなタイプがいざとなるとめちゃくちゃ出来る、みたいなのに弱いと話していたことを記憶していて引用してくる。説得力がすごい。
「シカマルも隊長だもんね……」
「そう。好きとか言っておいて矛盾してる。アウト」
「うう」
「お前はシカマルが強くなったら嫌がってるんだよ」
「Sorry...」
「うむ」
そのあとちゃんとまともなことを言う。
「自分なんてとても相手より上になれないっすー、ってとこから始めな」
まずは仕事の自己評価を下げなさい。なぜなら、根幹で支えてるのが仕事に対する自信だから。ああ、そうか。そうして何もかもを手放して、やっとまともに出てくるのが感謝や尊敬なのかな。「尊敬できる人が好き」なんて言いながら、わたしは尊敬の意味もわかっていなかったみたいだ。
呪縛とも呪いとも言うつもりはないけれど、生まれ育った家で身近にあった考え方は、気づかないうちに自分に染み込んでいるらしい。そういうものはきっといっぺんには剥がせないし、すぐには変わらないけれど、少しずつ納得と安心を得ながら、相手への見方も、何を大事にするのかも、変えていかないといけないみたいだ。大事にするのは得意な方だと思っていた。とんだ勘違いだ。
1万円が怖かったのは事実だけれど、それを出してくれる気持ちはちゃんと嬉しかった。「ちゃんと頑張って返すからね」(現金ではなく)というところに、適量の自信を持てるようになれるだろうか。なれるといいね。岡崎体育さんの「式」の老夫婦のような幸せがいいな。
とりあえず、家を片付けて、お金をためて、できたら引っ越そう。何がお返しになるかを探しながら、ひとまずは、楽しく暮らしたい。
育った環境のお話はこちらも。
『東京タラレバ娘』が最高で最高で最高だった
『東京タラレバ娘』という、平成の少女漫画史に残る問題作がある。
連載途中で吉高由里子さん、榮倉奈々さん、大島優子さんという女優陣を中心にしてドラマ化もされてますます話題になったけれど、そもそも1巻が出たとき、連載が始まったときから、日本中のアラサー女性を斬りつけてくるみたいな鋭い言葉たちで一瞬にして少女漫画界の話題の中心をかっさらっていった。
わたしも何人もの友人の悲鳴を聞いた。普段から漫画を読まない子すら知っているくらいの波及っぷりだった。『タラレバ』は、大問題を正面からずいと見せてくる。「結婚したいなら、幸せになりたいなら、今そうしてていいの?」って。
物語は2020年の東京オリンピック開催が決まったところから始まる。明確な「数年後」が見えたことで、なんとなく仕事を続けている、みたいなものじゃない、はっきりとした未来を想像する。そのとき、自分は何をしているんだっけ?
主人公の倫子と、女子会仲間の香と小雪は33歳。そもそも、東京オリンピック以前に、この年齢には結婚して幸せに暮らしていると思っていた。
この始まりを見たとき、思わず舌を巻いたのを覚えている。まさに「お・も・て・な・し」がニュースに流れまくっていた頃、当時アラサーに足を踏み入れたばかりだったわたしの同世代からも、「その時には結婚してたい」「子どもと見れていたらいいな」なんてつぶやきをtwitter上でたくさん見たからだ。東村さんはご自身の友人の方々がそう言い出したから書いた、とあとがきに書かれているけれど、コミュニティやクラスタが違っても、あのオリンピック決定にはそういうパワーがあったらしい。
倫子たちが日々居酒屋で大量のお酒を飲みながら恋愛ネタで盛り上がり、あることないこと、未来の妄想も過去のちょっとした後悔もないまぜにして滝のように喋っていると、ある日金髪の若い男の子に罵倒される。「オレに言わせりゃあんたらのソレは女子会じゃなくてただの…行き遅れ女の井戸端会議だろ」(1巻41ページ)。そしてこの有名なシーンへと続く。
(1巻42ページ)
そこから倫子を中心とした3人の怒涛の33歳が始まり、婚活パーティーに行ってみたり相席居酒屋に行ってみたりして、3人は日々HPを削られていく。脚本家の倫子はこの後この若者KEYくんと仕事でも絡むことになったり、その仕事が危機に瀕したりして、そんなとき「仕事がダメでも結婚するもん!」となってみたり、「恋はともかく仕事!」ってなってみたり、キャリアに悩む女性の図鑑かのように、ありとあらゆるシーンが出てくる。
その間に男性との出会いもある。
香は、バンドマンで、細くてキレイなモデルの彼女がいる元彼の「りょうちゃん」。彼女の存在も、香が2番目であることも隠しもせずに、「髪の毛とかピアスとか落ちてないよね?」と確認してくる男。
(5巻58ページ)
小雪は、居酒屋の常連になった「大人なのに無邪気で礼儀正しいけど人懐っこくて甘えたがりの可愛い男」(2巻108ページ)、丸井さん。ただし妻子持ち、奥さんと別居中だけどその内情は里帰り出産。
(2巻107ページ)
この二人は浮気だったり不倫だったりとわかりやすくクズなのだけれど、個人的には倫子が出会う男性の「問題点」の描き方が一番説得力があった。顔も体も良くて優しい、映画好きのバーテンダー。完璧で、おしゃれで、そんなこと言うのは贅沢だとも思うのに、話しながら違和感がある。嫌だなと思う会話がある。友人二人も「何言ってるの他はいいんでしょ我慢しなよ」と言うのだけれど、実はこう言う嗅覚こそが、一番「生理的に無理」に近いのだと思う。
(3巻72ページ)
登場する男性陣も「こういう人、いるな〜」という人ばかりだけれど、それ意外にも『タラレバ』は「あるある」「わかるわかる」の宝庫。「出会いがない」と考えるシーンで出てくる「男が皿に乗って回ってくればいいのに」という回転寿司比喩のシーンなんかは分かりすぎて笑ってしまった。なんで社会に出るとこんなに出会うのが難しくなるんだろう。
(2巻41ページ)
結婚式のシーンもすごい。「わたしは30くらいかなー」なんていう何の意味もない予定の会話が繰り広げられる女子トーク。そしてその年齢の頃合いとか台詞の一つ一つが、実は後ろから見られてた!?と思うくらいのディテールですごい。
(5巻102ページ)
マシンガントークやタラとレバーの幻覚の説教だけじゃなく、ふわっとしたモノローグまでも抉ってくる。結局何が欲しいとか、今の自分が何にしがみついてるとか、自然に見ないようにしていることを、倫子たちが呟いてしまう。
(2巻26ページ)
これだけ「リアル」だからこそ、現実を突きつけてくるからこそ、『東京タラレバ娘』は常にああだこうだと論じられる作品だったし、その完結が注目されてきた。結婚するのか、しないのか。まるでそこだけ少女漫画の登場人物のようなKEYくんとくっつく、花畑のような展開が待っているのかどうか。
最後2話に見せた「結論」が、本当に本当に最高だった。最高に最高に最高だった。ふんわりと「やっぱり恋も仕事も大事にして生きていこう」とか言って走り出したりせず、いつの間にか主題が遠ざかって「好き」「俺も」とかなるのでもなく、明確で、はっきりとした「ひとつの答え」が作中の正解として描かれていた。
何か出来事が起きた→相手はわたしのこと好きなのかも→じゃあわたしも好きになろう、という順番(あるいはそうなる前から切り捨てるか)でしか動けなかった倫子が辿り着いたのは、誰とくっつくとかくっつかないとか、結婚できるかできないかなんかよりもずっとずっと大事な一つのことで、「結局少女漫画じゃん」とか言わせない、少女漫画を超えた完璧な「大人の決意」だった。
相手がどうかよりも前にまず、自分がどうかなのだ。
女性が自由になろうとしている時代に結婚を押し付けるなんてありえない、と言った意見がネットでもいくつかあった。でも、この作品は、ちゃんと読めば、「結婚しなきゃダメ」なんて一度も言ってない。「結婚したいなら、どうにかしないとダメなんじゃない?」と言ってるだけだ。結婚だけじゃなく、「仕事で成功したいなら」でもあるし「幸せに生きたいなら」でもある。何か望むことがあるなら、そうなるように動かないとダメなんじゃない?って。
誰かへのダイレクトな説教でもなく、ご意見番としてのインタビューでもなく、ひとつのフィクションの中に意見や思想や答えのひとつを混ぜることって本当にすごいと思う。批判も反対もあってもそんなの関係ないんだ、これは東村さんと『東京タラレバ娘』が出した「答え」なんだから。最終話を読んで、倫子の叫びを聞いて、そのパワフルでがむしゃらで美しい終わりに、誰が何と言おうとこの作品が大好きだった、わたしは『タラレバ』から元気をもらってたんだと気づいてしまった。
2巻の時点で何の気なしに言っていたように見えた「欲しいものは愛なんだ」という言葉。これが最後の倫子の答えに見事につながっていて、この作品が最初から一つの芯によって描かれていたことがわかる。東村先生が最初から最後まで作品を通じて言っていたことはたった二文字、太い筆と墨汁で書いておきたくなる「自立」だったのだと思う。
そして幸せとか愛とか、そういうものを真面目に考えてみるのも悪くないし、真面目に向き合わないときっと手に入らないものなのだ。
俺マン2016を発表する
今年も開催されました、俺マンガ大賞2016。
全体の集計はこれから発表されますが、個人的に選んだものを今年も少しばかり。
わたしの俺マン2016!どーん!
兎が二匹/山うた
— まるこ (@lebeaujapon) 2016年12月31日
カカフカカ/石田拓実
ダンス・ダンス・ダンスール/ジョージ朝倉
私の少年/高野ひと深
素敵な彼氏/河原和音
西荻窪ランスルー/ゆき林檎
ニュクスの角灯/高浜寛
カレは男とシたことない。/都陽子
高嶺と花/師走ゆき
おはよう、いばら姫/森野萌#俺マン2016
そして、これまではマイルール的にハッシュタグ含めて140字以内、ワンツイートでやってたのですが、今年から著者名を入れた分減ったので、おまけのもうワンツイート。
その他:
— まるこ (@lebeaujapon) 2016年12月31日
神様はじめました/俺物語!!/富士山さんは思春期/ハル×キヨ/ラストゲーム/高台家の人々/椿町ロンリープラネット/これは愛じゃないので、よろしく/取り急ぎ、同棲しませんか?/きっと愛してしまうんだ。/恋わずらいのエリー/人魚王子/応天の門/あげくの果てのカノン/恋のツキ
これ含めたら去年までより多いけど、それでも悩みました。今年読んだ漫画は全部で405冊。一昨年306冊、昨年321冊なので伸びてきてる。
今一番愛しい10作品
今年の1番は何と言ってもこれ。山うたさんの『兎が二匹』。
1度記事も書いてるけど、個人的に新作が豊作だった今年の中でも、本当に本当に良かった。一生殿堂入り。新作が豊富だったと言いつつ一番好きなのは「完結が美しい作品」で、この作品はどの場面を切り取っても完璧でした。終わってさらに美しくなる作品。ああ、いつかこの方と仕事してみたいな。
他の作品も素敵なものばかり。
見逃していて今年初めて出会った継続作品の『カカフカカ』は今一番続きを待っている作品。好きすぎる。ルームシェアすることになった家に行ったら昔の元カレがいて、その人と「添い寝」をすることになる、という話なのだけど、そのあらすじだけでは到底伝わらない気持ちの揺れがすごい。男女両方に勧められる少女漫画。
3番目に挙げたのはジョージ朝倉さんの『ダンス・ダンス・ダンスール』。この方はなんでこうも、人が一番きらめく瞬間を描くのが上手いんだろう……! 才能に引きずられてしがみついて生きる人たちの物語。実は今年初めて最後まで『溺れるナイフ』を読んで、これが傑作すぎて度肝を抜かれていたのだけど、そこから何年も経って今描かれてるものがこれなんだと思うとくらくらする。
4番目に挙げたのは『私の少年』。アラサー女性と、赤の他人の小学生の少年との補完関係のような話。おねショタに分類されやすいと思うけど、そんな軽い萌えワードでは説明がつかない繊細さ。これはなんだか新ジャンルな気がする。
少女漫画の新作の中で一番好きだったのはダントツで『素敵な彼氏』。タイトルがシンプルすぎて、女子高生が恋してときめいてって話かなと思っていたら全然違った。誰かを好きになるとかなってもらうってどういうことだっけ、というお題を扱うものは数多くあるのに、どれにもなかった柔らかでピュアな空気感で、おまけにきゅんとさせてもくれるし続きも気になる。ヒーローがあんまり見ないタイプで素敵。
お仕事もので今一番好きなのは『西荻窪ランスルー』。高卒で大学進学を蹴ってアニメーターになる女の子の話。主人公は女の子だけど、周りで働く大人たちの葛藤も出てきて、すごくいい。何年も働いてると目的とか自分が何してるのかとかわからなくなることもあるけど、それでも目の前のものを少しでもよくしたい。仕事ってやっぱり戦いだな。
異色なのは『ニュクスの角灯』。これはとにかく中身の細かさというか、少し前の時代の日本にあった珍しいヨーロッパの品々や骨董品なんかがたくさん出てきて、その暮らしぶりやものたちが本当に素敵。1話ごとに丁寧に描かれてるコラムページもそれだけでフリーペーパーみたいなおしゃれさで、ずっと眺めていられる。マツオヒロミさんの『百貨店ワルツ (リュエルコミックス)』とかが好きな人に本当にお薦めしたい。
自分でも驚いている唯一のBL、『カレは男とシたことない。』は大好きな都陽子さんの作品で、『カレは女とシたことない。 (Feelコミックス)』のスピンオフ。普段BLはよほど話題になったもの以外は読まないのでこういうランキングに入れる日が来るとは思っていなかった……! 『女と〜』の方を先に読むことを圧倒的にお薦めしたいのだけど、このスピンオフも、相手のことを考えて、距離を少しずつはかっていく様子が素敵。この方の感情の描き方がものすごく好きだ。
あとは継続の少女漫画より、『高嶺と花』と『おはよう、いばら姫』を。『高嶺と花』は、御曹司と女子高生というある種の定番設定なのだけど、御曹司が同じ学校にいるわけではなく社会人で、なのに女子高生の方が基本的に立場が上という(笑)すごく楽しい展開。二人のキャラクターがものすごくいい。読むとめちゃくちゃ元気になります。
『おはよう、いばら姫』は特殊な事情で家にほぼ閉じこもっているお嬢様と家政婦として派遣された主人公の話なのだけど、毎巻毎巻、どこかで泣きそうになってしまう。絵も綺麗で、読み終わったあとじんわり「あー今回も良かった」って思う。最近話が動いてきたので、今後が楽しみ。
なんだか2016年は、いつもよりも一層繊細な気持ちの変化を描いているものに惹かれたかもしれない。ただ、本当はまだまだまだまだ紹介したいものがあって、以下は、収まりきらなかった作品たち。
完結作品たち
長く続いてきて雑誌の顔になっていた少女漫画の完結はなんだか寂しいけど、大抵がハッピーエンドなので、めちゃくちゃ幸せでもある。完結の仕方がすごく良かったのは『俺物語!!』と『ラストゲーム』。ああまた読みたい。『神様はじめました』は最初から最後まで大好きすぎたのでいつかがっつり語りたい。『ハル×キヨ』もずっと明るい気持ちで楽しく読める作品で大好きだった。オザキアキラさんはもう新作も始まっているのでそっちも楽しみ。青年漫画では、記事も書いた『富士山さんは思春期』が良かった。いつまでも見ていたかったけど。
安心をくれる少女漫画
今年好きだなあと思った少女漫画はホッとさせられるものが多かった気がする。なんかみんなどこか変だったり、苦労していたり、辛いことがあったりして、だけど誰かと出会って、安心する話。その主人公たちの動きに合わせて、一緒にホッとさせられていた。こんな風に幸せなことがあったらいいな、と純粋に思える、ある意味正統派少女漫画。
『高台家の人々』は、妄想ばっかりしている女性が主人公。妄想とか天然な人がちょっと苦手なのに、全然イライラしないし笑ってしまって、その彼女がなぜ相手に求められたのかがわかってしまうので、それがすごくいい。なぜかわからないけどモテちゃった!っていうんじゃなくて、ちゃんといいところがわかると安心する。
『ひるなかの流星』が大好きだったやまもり先生の新作『椿町ロンリープラネット』も可愛くて好き。この方の絵は服とか髪の留め方とかまでおしゃれで大好き。『これは愛じゃないので、よろしく』は大好きな湯木のじん先生の新作。愛がどうのとか言ってる女の子をウゼーってバカにしてた男の子の方がジタバタしてるのが面白い。
『取り急ぎ、同棲しませんか?』は今一番シンプルにきゅんとする作品!年下男子がとにかく押せ押せで来るという夢のようなシチュエーションで、いいんですこれは夢でも。こんなこと現実にはそうそうないけど、見てるだけで楽しいから大満足。同じく同居もの『きっと愛してしまうんだ。』は会社の同期同士。相手の気遣いや温度の感じ方の表現が一井かずみ先生は素敵。前作より圧倒的に好み!
『恋わずらいのエリー』は妄想が止まらずtwitterで妄想恋愛アカウントを作っているという現代的な設定。なんとそのtwitterまで実際に用意されてる。一見変態な女子だけど、ときめきの部分は本物だからすごい……。ギャグになりすぎてなくて好き。
頭から離れなくなる青年漫画
今年も好きな青年漫画もたくさん。何と言っても一番話題になったのは『あげくの果てのカノン』。不倫×SFというぶっ飛んだ設定で、主人公のかのんが「先輩」を好きすぎるストーカーなのがネット上ですごく話題になったけど、SF部分もしっかり先が気になる感じで、目が離せない。
恋愛模様という意味では『あそびあい』に続いてヒリヒリする恋を描いている新田章さんの『恋のツキ』。だらだらと付き合っている彼氏にときめきを感じないけど、年齢的にはその人と結婚した方がいい。でも、学生の男の子にときめいてしまって……という出口が見えない感じ。絶望を感じる! アラサーでざっくり傷ついてしまう人もいるのでは……。笑
大好きな尾崎かおりさんの新作『人魚王子』はちょっと不思議な出会いを描いた傑作短編集。前作の『神様がうそをつく。 (アフタヌーンKC)』とはまた違うミステリアスな雰囲気で、もっといろんな作品を読んでみたくなった。
最後は一番応援している作品の『応天の門』を今年も。菅原道真と在原業平のタッグ。読めば読むほど道真を好きになる。去年のわたしの俺マン1位にしたのだけど、継続中の今年も面白かった。それでいうと去年2位にした『波よ聞いてくれ』もめちゃくちゃ面白くて信じられないほど面白くてすごかった。
全体の投票はどんな感じになるだろう……!発表は来週14日。楽しみ。
2017年もたくさんの面白い漫画に出会えますように!