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物語のなかをぐるぐる廻る

すきなものをならべていく

知らなかった感情と出会った瞬間を忘れないように――ものや動物の声が聴こえるイノセントファンタジー『ひそひそ』

漫画のこと

もういつ知ったか思い出せないけれど、わたしたちが持っているひとつひとつの感情は、最初から持っているものではない気がする。「嫌だ」や「うれしい」はごく幼い頃からあったとしても、「さびしい」「やるせない」「ふがいない」「悔しい」「愛しい」なんかの少し複雑な気持ちは、きっとどこかに出会った瞬間がある。こんな気持ちにははじめてなった、という瞬間は、忘れているだけできっとたくさんあったのだと思う。

そんな感情との出会いを丁寧に描いた作品が、藤谷陽子さんの『ひそひそ』(全6巻)だ。

ひそひそ-silent voice- (6) (シルフコミックス)

 

幼い頃、ものや動物の声を聴く能力を持っていた高校生の主人公・光路は、ある日、自分と同じ能力を持ち、周囲と会話する小学生の男の子・大地と出会う。その出会いから再び能力が戻った光路は、まるで昔の自分をやり直すように、その力と向き合っていくことを決心する。

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(1巻46ページ/118ページ)

 

能力を歓迎されなかった子どもの頃の記憶から、光路は大地のことを気にかけ、大地が上手に大人になれるよう見守っていく。気持ち悪がられないか。人との距離はうまくはかれているか。
大地の心配をしていたはずなのに、改めてたくさんの声に触れて、いつの間にか自分自身が少しずつ変化していることに気づいていく。

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(1巻133ページ/2巻35ページ)

 

子どもから大人になる過程で消えてしまうと言われている力。再び光路のもとにやってきた能力がもたらしたものはなんだったのか。大人になりかけている自分だからこそ知っていることもあれば、大人に近いはずなのにうまく扱えていないこともある。年齢を重ねれば経験も知っている感情も多いはずなのに、全然器用にこなせない。成長していくのって、こんなに歯がゆくて難しかったかな、と思うと、不思議と前向きな「やれやれ」という笑みがこぼれてくる。誰かの優しさに触れて、やるっきゃないな、と力を抜いて、また一歩歩き出す気持ちが湧いてくる。『ひそひそ』の描き出す登場人物たちの成長はゆっくりだけど、とても優しい。

 

執着がなく薄っぺらい毎日を送っていた光路が「照れ」や「安堵」の感情、「思い入れ」や「心の許し方」を知っていくのも目が離せないのだけれど、ラストには、この作品で一番心震える大きな感情との出会いが訪れる。こういう大きな出会いはきっとこの先の性格や選択にも影響を与えるような原体験になることを想像すると鳥肌が立つ。そしてどんな経験も、それを知ったことは無駄にならないことを、大きな糧になることを、読者はすでに知っているからこそ、なんだか泣きたい気持ちになる。

作品はファンタジー要素のある設定だけれど、わたしたちにとっても全く距離のない物語。この一瞬を、誰かの言葉を、忘れないようにしたい――そう思って少しだけ背筋をしゃんとしたくなる。

ひそひそ 1 (シルフコミックス 36-1)

ひそひそ 1 (シルフコミックス 36-1)

 

 

子ども×大人のハートフルストーリー『flat』や『ばらかもん』『キミにともだちができるまで。』が好きな人には特におすすめ。