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物語のなかをぐるぐる廻る

すきなものをならべていく

映画『怒り』を見て取り憑かれたように考えたこと

映画『怒り』を見てきた。10月2日日曜日のお昼、歌舞伎町奥のTOHOシネマズ新宿で。クライマックスのところでは自分の心臓の音が手を当てずとも分かるほど緊張したし、エンディングの頃には浅い呼吸しかできなくなって、川村元気とか坂本龍一とかのクレジットを見ていたら胸が詰まって吐き気がしてきた。中身がグロいとかじゃない。空気と、重みと、熱のせいだ。人酔いしたみたいにうっすらとした気分の悪さ。

気分が悪いとか吐き気とか言ってしまうと、駄作と誤解する人もいるかもしれないけれど、決してそういう意味じゃない。力のある人たちが集まって熱に浮かされながらものを作るとこんなものができてしまうのか、と思った。迫力も質感も圧倒的に高度だった。今年は『リップヴァンウィンクルの花嫁』と『シン・ゴジラ』で二度も圧倒的にすごいと思わされたのに、そのふたつとはまた全然違う座標で一番印象に残った作品になった。歌舞伎町を抜けて駅に行く間、ずっと呼吸を浅く細かく繰り返しながら、誰とも目が合わないようにして歩いた。身体に変な力が入っていた。

これから書くことはどうしたってネタバレなしにできそうにないから、これから見る人は読むことをお勧めしない。

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東京、千葉、沖縄。3箇所で素性の知れない男と出会った人たちは、彼らと関係を深め、やがて、夫婦殺人事件の報道により、少しずつ犯人に似た特徴を持つ彼らのことを「本当に信用できるのか」と疑っていく。目の前にいる人から感じる優しさや温度は確かに本当に思えるのに、信じることができない。そのことについてずっと終わった後考えていた。ご飯を食べていても、運動をしていても、歯磨き中も、気づいたらあらゆるシーンを頭で反芻していて、信じられることと信じられないことに頭を巡らせていた。

千葉の愛子(宮崎あおい)は、恋人となった田代(松山ケンイチ)を疑い、警察に電話をかける。宮崎あおいさんが震えながら吼えるように泣くシーンはすごかった。彼女はとてつもない大きさの安堵と後悔を同時に感じて、何も喋らずに大声で泣いた。その投げ出された脚や全身で訴える様子を見ながら、小説や脚本にもないであろう身体のすべての動きを演技でつくりあげるのってすごいことだと思った。彼女は恋人を疑って通報するけれど、結果は白。家宅捜索の結果、恋人の指紋から身元がはっきりすることとなった。
愛子は田代を信じなかったけれど、父である洋平を信じたとも言える。もちろん、自分自身が最後まで恋人を信じ続けられなかったというところが本人にとっては大きいだろうけれど、愛子には他に、意見を参考にしたいと思うような、気持ちを変えられてしまうような、信じるべき人がいたということだ。

もし、この結果が黒だったら、ということを何度も考えた。あの瞬間、愛子と洋平は全身で恐れていた。黒であっても白であっても怖いという場面だったはずだけれど、万が一、黒で、警察が重い顔でそれを伝えたならば。あっという間に、自分の行動は肯定されて、楽しかった日々も薄ら寒いものに変わる。もう姿を消していて連絡がつかない恋人を、きっと、まだ居座られているよりよかった、と思うはずなのだ。凶悪殺人犯が自分たちの元を去った、と。警察が「彼は違う」と言う瞬間まで、愛子も洋平も、そして見ているわたしたちにも、田代は灰色に見えていて、とてつもなく不安だった。黒だったパターンもありうるのだ。小説だからそうも作れただろうし、小説だけではなく、現実でもある。同じ状況にもし現実で遭遇したら、愛子の行動はとても正しい。黒ではないということを知らなければならない。だって、次の日に自分の部屋で事件が起きるかもしれない。そう思うとぞっとする。ぞっとさせるだけのリアリティがこの作品にはあった。

愛子も、洋平も、疑った自分をどこかで後悔しているのかもしれないけれど、疑うことは悪いことではない。大事な人を信じられなかったと自分に思うのは、あくまで結果論なのだ。素性のわからない人間を簡単に信じてはいけないのは、犯人の行動がすべて物語っている。道を聞かれるでも、家に入る業者でも、ナンパでも、そのすべてを疑うのも寂しい気もするけれど、疑ったほうが安全だということだけはこの映画がよく示していた。

 

東京で出会うゲイカップル、優馬(妻夫木聡)と直人(綾野剛)は、千葉編とは少し違う結末を迎える。身近で起きる空き巣事件などからだんだんと直人への疑いを深めていった優馬は、直人が姿を消した後の警察からの電話で、殺人犯に関する調査だと思い込んで直人が残したものをすべて処分する。電話でも「知らない」と答え、切ってしまう。それでも直人を探し続けて、彼がすでにこの世にいないことを知る。
このふたりの恋はなんの危険性もないただの恋だったから、優馬に残るのは、千葉編よりももっと爽やかな、彼を信じてやれなかったことへの後悔だ。警察からの電話はおそらく倒れていた直人の身元確認等だっただろうし、形見をすべて捨ててしまったあとだった。よくよく考えれば殺人の調査であれば電話を「知りません」で切っただけでその後何もないということも考えづらい気がしてくる。すべて分かったときにはもう彼には会えなくなっていて、家族のいない彼が、隣の墓に入りたいとつぶやいていたことを思い出す。千葉編での緊迫感は「大事だろうが疑わないと危険かもしれないぞ」と思わせるには十分だったのに、今度は「大事なら大事にしないといつ会えなくなるかわからないぞ」と言われた気がした。

 

そもそも、見ず知らずの人を信用するには何が必要なんだろう。高校のクラスで初めて一緒になった、引っ越したら同じマンションだった、など、これまでもたくさんの「知り合う瞬間」があったはずなのに、そのあといつその人のことを信用したのか、案外わからなかったりする。
同じ学校・会社だから大丈夫、という安心感はかなり高い気がするけれど、同級生や同僚が何か犯罪を起こさないとは限らない。知らない人をはかるものとして職業はすぐに出がちで、「何してる人なの?」に対して企業名が返ってくると安心する人は多いけれど、合コンで出会った人が出してきた名刺が本当なのかは、実はその瞬間には判断のしようにない。色々な場面や第三者のいる場面でその人を見て、どういう表情で、どういう言葉で暮らすのかを見ていかないと、きっと実はわかっていないのだ。信頼への道のりを本当に遠く感じた。ステータスよりも自分が見たものが大事だとも思うし、なにも所属を持っていない良い人というのも不安だ。対自分ではなく、他の誰かとどのくらいどんな関係があるのかを知っていくことでしか、きっともう安心できない。

 

普段いかに簡単に人を信頼しているかも思い知ったし、いちいち疑っていたらきりがないという気持ちもある。接する中でしか信頼はできないから、完全に安全とわかるまで接しない、ということはできない。そんなとき、「怒気」はすごく参考になるかもしれないと思った。怪しい男として登場した3人のうち、犯人が分かるまでに暴力性を見せたのは沖縄編の田中(森山未來)だけだった。おそらく犯罪でも、万引きと傷害にはかなりの距離がある。人を殴ったり蹴ったりすることって怖いし、ものでもなんでも「壊せる」というところにまで辿り着くのは、またいくつか段階が違うのだと思う。できる人にはできてしまうことだけれど、できない人からするととんでもないことに思えるのが暴力だ。スーツケースを投げるでも、厨房のものを割って回るでも、田中には暴力性と怒気があった。それを見たら、深追いをしない。その判断を常に意識するのは、自分や大切な人を守ることに繋がるかもしれない。

辰哉は深追いする。行かなければいいのに、また田中がいる島に行って、二人きりになる。あのときは見ている誰もが「なんでそんな危険なところに一人で行くんだよ!」と思ったに違いない。絶対に何かが起こるという緊迫感があるのに、辰哉はそんなこと想像もしていない。なんだか様子がおかしかったけど、島に行って会えるなら会いたいと思っている。犯人ではない東京と千葉では疑う心を描いていて、犯人のいる沖縄では疑わない心を描いている構造にめまいがした。無心に信じている相手が殺人犯だなんて、思いもしない。東京と千葉が報道の犯人像に脅かされるのに、沖縄はちらっと一瞥しただけで、頭から消してしまう。その様子があまりにも日常らしく想像できてひやっとした。人は一度信じたら疑わない、という部分。疑うどころか、沖縄にいる人たちは最後まで彼が殺人犯だったことを知りもせず、辰哉と田中の関係も、殺人事件とは無関係なところで変化していく。

そのあまりにも完璧で緻密な構図に舌を巻いた。「信頼した人を殺人犯かと疑う話」だったら、沖縄編に疑いだけ付け加えれば書けたのだと思う。あるいは、千葉か東京の結末を犯人にしてしまえばいい。でも、吉田修一さんはある意味いらない千葉と東京を描くことで、信じることがいいとも悪いとも言えない物語を作っている。それによって『怒り』はただのミステリーではなくなっている。逆に、ミステリー的な要素で田中を疑っているのは観ている者だけだ。交わることのない舞台が3つも描かれていることの狙いを思うと、頭が疲弊してどっと疲れた。しかも、ダミーはひとつでも成り立つのに、3つあるというところが憎い。相手を疑っていくヒントになった現象や、迎える結末の違い。見ている一人一人が誰かを信じることや疑うことを選択したとき、迎える未来のパターンをいくつもちらつかせてくる。そこにくるのは安堵かもしれないし、後悔かもしれないし、危険かもしれない。すごい映画だったし、すごい物語だった。

 

俳優のみなさんの演技が本当にすごいのだけれど、沖縄編で泉を演じた広瀬すずさんも圧巻だった。『ちはやふる』でもすごいと思ったけれど、今回はまた全く違う顔。特に駐在している米兵にレイプを受けるシーンがすごかった。表情、涙、動きが止まる瞬間。心が壊れていくのが見えた気がした。物語の終わりを結ぶ泉の咆哮も強く印象に残った。海に向かって叫ぶ、とト書きしてしまうと安っぽい青春ドラマみたいだけれど、泉の叫びはもっともっと、口に出さなかった言葉をたくさん含んだ、重くて黒い、力のある叫びだった。
綾野剛さんの存在の柔らかさと独特な色気もすごかったし、一瞬だけ登場する高畑充希さんの目の強さと存在感も残った。坂本龍一さんの音楽、そして、これも川村元気さんのプロデュース。くらくらする。この豪華なキャストとスタッフで、明らかに高い熱量で作られた作品。たくさんの人に勧めたいけどしばらく2回目は見たくない。

 

すべてのメインのキャストのインタビューが読めるパンフレットが本当にすごい完成度で、言葉の選び方や語り口が美しくて、おすすめ。文字だらけだけれどあっという間に読める。朝井リョウさんの寄せた文も美しくて感動した。

文庫も、今は期間限定の幅の広い帯で、帯の裏にはインタビューが印刷されているので、書店でもぜひ。

怒り(上) (中公文庫)

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怒り(下) (中公文庫)

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「怒り」オリジナル・サウンドトラック

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