物語のなかをぐるぐる廻る

すきなものをならべていく

「してもらう側」になれない話

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それなりに長くつきあっている恋人が初めての一人暮らしを開始して、遊びに行ったときのことだった。「きれいにしてるでしょ?」という言葉の通り、その部屋には遊び程度しか余計なものはなくすっきりとしていて、水廻りも文句なく綺麗だった。

広いベランダ。コンロ2つ。独立洗面台。いつ出してもいいゴミ置き場に、宅配ボックス。ちゃんとしたエントランス。途中でリフォームしているとはいえ築33年になるわたしのマンションとは、床やドアの材質や汚れ方から違った。不自由するほどの不満はないけれど、端っこがひび割れているドアの木材を思い出す。全体的にナチュラルな素材のわたしの部屋が一気に学生の貧乏生活に思えるほど、その床やドアを形成する濃い茶色のつるっとした加工の木が羨ましかった。

ああ、もう6年。わたしは6年、同じ部屋に留まっている。何の進歩もなく。自分で自分にそう言われた気がした。もちろん彼にそんな他意はない。

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日曜の夜、夜行バスで帰ろうとしていたわたしに新幹線を勧め、彼は1万円を出してくれた。実際にこの瞬間が来るまでは、ひとりの負担が増えるのは不平等だし折半してほしいと思っていたのに、その重い重いお札1枚を見て、わたしは内心とても怖かった。

家。快適でゆたかな暮らし。お金。負けたくなかった。男の人に負けないように働いて、稼いで、自分でお金と暮らしを手に入れたかった。そうじゃなくなるのは怖い。だれかにしてもらうばかりになるのは、弱く、自由がなくなることのように思えた。ありがとう、と言って受け取ったけれど、ちゃんと笑えていたか自信が持てない。

誰かの上に立ちたいなんて、そんな自尊心はいいことがない。正確には、上に立ちたいわけじゃなく、負けたくない、なのだけど。普通ならきっと、「生活力のある彼氏♡」って喜ぶところだと思うのに、どうしても先に悔しさと怖さがきた。それは、彼にはまったく関係なく、彼氏とか結婚とかを考えるよりももっと幼いときから、誰にも頼らなくても生きていけるようにならなきゃダメだ、と思ってきたからで、そのためにわたしは受験をし、いい高校いい大学を目指し、それなりの企業に入ってきたわけで、言ってしまえばこれまでの全ての選択はそのためにあったのだった。

父は、「俺の稼いだ金だぞ」「俺の金で買った家だぞ」と言う人だった。その年代の価値観としては珍しくないかもしれない。母は専業主婦だった。稼ぐ手段を持たない母は、好きなものも買わず、高価なものには目もくれず、贅沢もせず、わたしにとってその生活は、とても自由がないものに見えた。
絶対に、「俺の方が稼いでるだろ」なんて言わせないようになってやる。そう思って10歳くらいから勉強してきた。だから怖い。荷物持つよ、も怖い。ここは俺が払うよ、も怖い。「ごめんね、ありがとう」が積み重なった先にわたしに残るものはなんなのだろう。気づいたら何も選べなくなっていないだろうか。

 

この「負けたくない」の気持ちにはかれこれ15年以上付き合ってきたから、すぐに正体がわかった。なのに、それでも今回は不安が消えなかった。友人にぐだぐだと整わないまま不安をこぼしていたら、自分の口から出た言葉に驚いた。「もうわたしがいる意味はないかなって思って」。するりと出てきたのに、最初は出所がわからなかった。その先は見たくない気がするのに止まらない。「1万円もさ、その分何か返せてるなって思えてたら大丈夫なんだけど、そう思えなくて」「部屋も綺麗で、健康に暮らしてて、わたしにできることって何もないんだなって思って」勢いよく滝のように流れていく。

だって、すごく可愛いわけでも、スタイルがいいわけでもないなら、よく男の人が結婚の決め手に語るように「俺は身の回りのことできないからさ」みたいな価値でもなければ、正直、必要性がわからない。 何もかも完璧にされてしまったら、わたしにできることは何が残ってるんだろう。セックスだったら分かりやすい。別にすごく上手くなくても、とりあえず物理的にある程度役に立てる。でもそれは、女性であれば誰でもできる。

「それ以外にも価値あるでしょ」「それは相手が決めることでしょ」のアドバイスも、頭では正しいって分かっているのに、根本的に腹に落ちなかった。家政婦になりたいわけじゃないのになぜなんだ、と考えて登場したのは今度も母だった。自由になるために自分で稼ぐと言いながら、その一方で、母親が家事や人の世話によって価値を出している状況しか見てこなかったから。母がいないと自分のこともできない父を見てきたから。父がスーパーマンになって母が不要になるという構図が、わたしは怖くてたまらないようだった。

役にも立てていないのに、さらに1万も出させるなんて最悪だ。ゼロどころかマイナス。わたしが来なかったら必要なかった出費だ、と思ったら血の気が引いた。してもらうくらいならしてあげる側がいい。自分が「そんなことしてもらえないよ」って思うことでも、する側なら大丈夫だから。アンバランスだと分かってるけど、そのくらいのほうが精神衛生上いい。

 

「自分に価値がないように感じた2日間だった」
お兄ちゃんを長々LINEにつき合わせながらそう言ったら、「そこに価値を見出したら終わり」とばっさり切られた。わかってるよ。
「20歳くらいの男の子を養うか、40歳くらいの人にしようかな」と茶化すと、「20歳が成長したら同じ壁にぶつかるからダメ、その思考回路な限りお前に残ってるのは40どころか50くらいのヘタレなおっさんだけだから」と言われた。ありがたいお言葉はさらに続く。

「頭のいいシカマルみたいな人はちゃんと稼いで上に行ってるよ」
NARUTOのシカマルみたいに、やる気もなくてだめだめなタイプがいざとなるとめちゃくちゃ出来る、みたいなのに弱いと話していたことを記憶していて引用してくる。説得力がすごい。
「シカマルも隊長だもんね……」
「そう。好きとか言っておいて矛盾してる。アウト」
「うう」
「お前はシカマルが強くなったら嫌がってるんだよ」
「Sorry...」
「うむ」
そのあとちゃんとまともなことを言う。
「自分なんてとても相手より上になれないっすー、ってとこから始めな」
まずは仕事の自己評価を下げなさい。なぜなら、根幹で支えてるのが仕事に対する自信だから。ああ、そうか。そうして何もかもを手放して、やっとまともに出てくるのが感謝や尊敬なのかな。「尊敬できる人が好き」なんて言いながら、わたしは尊敬の意味もわかっていなかったみたいだ。

 

呪縛とも呪いとも言うつもりはないけれど、生まれ育った家で身近にあった考え方は、気づかないうちに自分に染み込んでいるらしい。そういうものはきっといっぺんには剥がせないし、すぐには変わらないけれど、少しずつ納得と安心を得ながら、相手への見方も、何を大事にするのかも、変えていかないといけないみたいだ。大事にするのは得意な方だと思っていた。とんだ勘違いだ。
1万円が怖かったのは事実だけれど、それを出してくれる気持ちはちゃんと嬉しかった。「ちゃんと頑張って返すからね」(現金ではなく)というところに、適量の自信を持てるようになれるだろうか。なれるといいね。岡崎体育さんの「式」の老夫婦のような幸せがいいな。

とりあえず、家を片付けて、お金をためて、できたら引っ越そう。何がお返しになるかを探しながら、ひとまずは、楽しく暮らしたい。

 


岡崎体育 『式』Music Video

 

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育った環境のお話はこちらも。

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