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物語のなかをぐるぐる廻る

すきなものをならべていく

19歳ですべてを決めること、舞台『ジャンヌ・ダルク』

「なぜ処女検査をしないのですか」

悪魔と契約していないことを示すためにそう申し出た人は確かに「女性」ではあったけど、全然「少女」らしくはなかった。後でインターネットを見て驚いた、あんなふうに喋っていたのが、若干17歳。「何をされるか分かって言ってるんですか」という周りの心配の声が妙に響いた。

「構いません!」

有村架純さんの声が違った、舞台『ジャンヌ・ダルク』。

10月11日土曜日13:00からの回、赤坂ACTシアターにて。
当日券も出ていたようだけど、ほぼ満席に見えた。

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舞台って不思議だ、途中も、終わった後も、わたしはジャンヌのことばかり考えていた。なんかこう、これが映画だったらもう少し映画自体のことや俳優さんたちのことを考えた気がするのだけれど、脳裏をぐるぐるしたのは、ジャンヌ・ダルクその人本人と、彼女が生きた時代と、女性と、宗教と、歴史について。変なのかもしれないけれど、気づくとめちゃくちゃ現代とリンクさせて考えてた。わたしはこんなの嫌だ、ってたくさん思ったから。

「神様の声が聞こえたから」
「神様はこう言っている」

ジャンヌは作中数えきれないほどそう叫び、それによって周りの人を動かし、自分もそれに動かされていった。そんなことってあるだろうか? まずはずっと、この姿は絶対にわたしが理解できないものだ、という気がしていた。「信仰」なのだから当たり前なのだけれど、「信じているもの」は人を動かす。でも、「神様」ってそんなにいいものなのか。他にいくらでも幸せなことが待っている人生において、17歳から19歳までの2年間を鮮烈に燃え上がらせて終わる、それが良いと思えるくらい、神様は彼女とあの時代において素晴らしいものだったのか。

現代かつ無宗教な日本で育っているとやっぱり「神様は見ていてくださるわ」みたいな思考は知識以上の理解はできなくて、「いいだろそんなのどうでも、お化けみたいなものだよ、結局、死んだらどうにもならないでしょ」って怒りみたいなものすら持って見ていた。親の教育でもあるまいに、聞こえてたとしても無視だよ無視! って肩を揺さぶりたいような気持ちで、あぁわたし何を600年も前のことに怒ってるんだろ、って。

でも、見ているうちに、なけなしの歴史の知識とかが頭をちらついたりして、これは600年前のこととは限らないのか、に変わった。キリスト教徒ではない日本人が「祖国のため」に戦争し、異教徒なんて文化は持たない彼らも「非国民」と言ったわけだし、自分の人生を守ってくれるわけじゃない「会社」に殺される人がいっぱいいたり、とにもかくにも「信頼関係」じゃない一方的な信頼ですべてを捧げることなんてまったく珍しくないのだ、と思ったら、不思議に思っていた気持ちは半分くらい引いてすうっと不安が出てきた。ああ本当に人はなんにも学んでないのかもしれないし、基本的な性質が変わらないからこそ、現代人にとってもジャンヌ・ダルクは格好いいのかもしれない。

 

一方で、教会が権力を持ち、異端を認めなかった異様に思える時代の空気の中でも、それを“信じていない”人たちがいるのが面白かった。「彼女を魔女にしてしまおう」と発言する頭のいい人たちはすべてが国家と政治を基準に頭をつかって空気を利用していたし、ということは神様も魔女も大して信じていないようだった。ジャンヌに必死で「どこかで生きろ」と伝えた人たちは、「お前は魔女だ」でも「神様の使いだ」でもなかった。もうどっちでもいいから生きてくれ、と願われているのは肉体もしっかりと自分のものである人間の少女だったのだ。信仰ってなんなのだろう。最後まで自分の意志で信仰を貫いたのは、あの物語ではジャンヌ・ダルクただ一人だったように思える。

19歳で「わたしはこう生きる」って決めること。

自分が19歳だったころをちらっと思い出すと、とてもじゃないけど、あんなふうじゃなかった。どっと疲れながら、ありきたりだけど、今はすごく楽な時代だな、と思った。ジャンヌだけじゃなく、たとえばラ・トレムイユ卿に使える侍従官クルバンは「ジャンヌの生まれ故郷に行って秘密を探ってこい!」って命令されていて、ひえー、と。だってそれ、何も見つかりませんでした! とか言おうものならなんかよくない目に遭うやつでしょう。なんだか現代のブラック企業なんて甘く思えてくる。生きるか死ぬかなんてところで日々を過ごしたことがないから、そのストレス耐性だけで昔の人を尊敬しそうだ。

「神様」にはぴんとこなかったけれど、同じように何度も出てくる「使命」は、実はとてもわかるような気がした。運命とかと同じで胡散臭い言葉だなとも思うけど、わたしにも、わたしはこうしなくちゃいけないんだ、と誰に命令されたわけでもないのに思っていることがあるし、世の中のお母さんの「わたしがこの子を守る」も同じようなものなのだと思う。信じていることがある人は、とても強い。盲目だけど、とても。

 

舞台セットはとてもとても良かった。見た瞬間に、この舞台の使い方が楽しみ、と思っちゃう感じ。入った瞬間テンション上がります。奥行きのある舞台に、前後に空けられた大きなふたつの穴。そこを何十人もの兵士たちが駆けてゆくだけで時間の経過も戦いのすごさも勢いも勝敗も迫ってきたし、扉にもなり壁にもなり、単純な形だからこそ使い方の巧みさがすごくてこういうところは本当に舞台の醍醐味をめいっぱい浴びさせてもらった感じだった。

そして中島かずきさんの脚本はやっぱりとてもかっこ良かった。全部で3時間くらいで、長くて驚いたのだけれど全然飽きなかった。わたしの出身高校の演劇ではよく演じられているヒーローみたいな脚本家さんなのだけれど、今回はじめてプロの方が演じるのを見られてよかった。

その演出と脚本にものすごい説得力を持たせていたのが約100人もいる兵士たち。戦いがすかすかな感じがまったくしなくて、名前がない役だったかもしれないけれど、舞台全体としてはすごく見所。

照明の使い方が面白かったのも個人的にはわくわくした。穴以外のところを通るように左右を細く照らしたり、少しずつ舞台を照らす四角い照明が移動して場面転換したり。舞台は場所を移せなくてありとあらゆることが不自由だからこそやっぱり知恵とアイデアとねらいが詰まっていて、全ての動きに意味があってそれがすごく好きだなあ。

 

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終演後に外で。今見たら屋根が被ってる…!

有村さんの普段と違うビジュアルに惹かれて見に行ったものの、席も2階だったしあまり顔は見られなくて、だからこそ逆に、誰が演じてるかとかを超えて「舞台」というものとして見られて、それが良かった。当時のフランスを見ているような気がした。観客として、火あぶりを見ているような。

あんまり芸能人の方が出てる大きな舞台は見てこなかったから、またいくつか見たいなあ。
お金貯めます。

 

 

全然関係ないけれど、舞台見る前に赤坂Bizタワーの中で食べたチキンライスが美味しかった。

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揚げがおいてあるとうれしい…。シンガポール料理だいすきです。ランチも食べて、よい日でした。